


それぞれの道にスペシャリストがいる。いや、スペシャリストじゃなくてもいい。誰にでも得意なこととそうではないことがあって、助け合いながら、支え合いながら、人は生きている。人生は無限のコラボレーションである。
今回は番外編として、KADOKAWAより「」が絶賛発売中の こと ゆるゆらりさんとのコラボレーションブログを企画しました。前編を私、後編をゆるゆらりさんが担当しています。合わせてお読みいただけましたら幸いです。
遠くに花が咲いている。温かな光も差し込んでくる。手を差し伸べてくれる人だっている。だが、その場所はどうにも苦しい。心が弱っていると、憂いや煩い、あるいは諦め、そんな感情に染められてしまう。思い描く光景と目の前にある景色、なりたい自分と変われない自分、人はいつだって理想と現実の狭間で生きている。
理想を言葉にするのは、それほど難しくない。だからなのか、世の中にはそんな言葉がありふれている。もちろん、理想を掲げることに異存はない。その言葉に胸を躍らせ、希望を抱くことも少なくない。だが、埋められない乖離はある。仕事であれば、予算や人手の問題、そこで働く人たちの意欲の違い、個々の理想を具現化することはなかなか難しい。それでも、多くの人は理想へ向かうことをやめない。それは何故か? きっとそんな自分が心地よいからだろう。一切の理想を捨ててしまえば、人生は楽になるかもしれない。だが、それではロボットの一生と変わらない。だから、俺は人間として理想を追い求めたい。何かを成し遂げようとする、そんな時間は美しい。
数年前のことである。俺は会社の資格取得支援制度を利用して、介護職員基礎研修(現在の介護福祉士実務者研修)を受講した。清掃と介護に直接的な関係はないが、資格や知識を有する者がいることで、業務の受託に繋がる可能性はある。また、年老いていく両親や自分自身の将来を考えた時、そこで学んだことは必ず役に立つだろう。
研修には実習があり、俺は一日8時間、約半月ほどグループホーム(認知症対応型老人共同生活施設)へ足を運んだ。そして、実習最終日のことである。俺は挨拶を兼ねて入居者の部屋を回った。最後に話したのがいちばんよく話をしてくれたツ子(つね)さんである。
「ツ子さん、お変わりございませんか?」
「見かけない顔だねぇ、新しく入った人かい?」
俺は最後まで顔を覚えてもらうことが出来なかった。一抹の寂しさを感じたが、腹を立てたりはしない。誤解を恐れずに言えば、認知症は強く生きてきた人へ神様が贈る病なのかもしれない。もう頑張らなくてもいいよ、辛いことは全部忘れていいよ、自分が好きな時間を生きればいいよ、そんなふうに神様が言っているのだと受けとめることだって出来るだろう。
「はい、先週から実習に来ている清掃氏です。今日で終わりなんですよ」
「今日来て今日辞めちゃうのかい?」
「えぇっと…、そんな感じですね」
「嫌な事でもあったのかい?」
「そんなことないですよ。最初から今日までだと決まっていたんです」
「寂しくなるねぇ。あんたみたいに話を聞いてくれる人はいなかったよ」
忘れているのに覚えている、言葉として意味が成り立たないが、そう解釈する他はない。
「俺もツ子さんのお話が聞けなくなるのは寂しいです。最後に聞かせて下さいよ。アルバムの話…」
俺はその話を何度も聞いていた。だが、何度聞いても胸が熱くなった。そして、何よりもそれを話す時のツ子さんの誇らしげな顔が好きだった。
「アルバムの話かい?」
「はいっ!」
「…あれはワタシがまだ8歳の時だったかしら。ウチは貧乏でカメラを買うお金がなくてね、アルバムに絵を飾っていたの。出掛ける時はわら半紙と鉛筆を鞄に入れていって、絵が得意だったワタシがみんな(家族)を描いたのよ」
「その絵をね、アルバムに入れていたんだけど、友達が遊びに来た時に笑われて、ワタシは悔しくてビリビリに破ってゴミ箱に捨てたの…」
「でもね、すぐに悲しくなったわ。家族の大切な思い出が詰まったアルバムを、ワタシがダメにしちゃったんだからね」
「それから何日後だったかしら…。学校から帰ると、ちゃぶ台の上にわら半紙と鉛筆、そして新しいアルバムが置いてあったの」
「アルバムを開くと、最初のページに手紙が挟まっていたわ。『お母さんはツ子が描いた絵が大好き。だから、これからも描いてね』って…」
「アルバムを捲るとね、破って捨てたはずの絵が挟まっていたわ。セロテープで貼り合わせた絵よ」
「きっとお母さんが拾い集めてくれたんですね。気の遠くなるような作業だったと思いますよ。でも、それくらい大切な宝物だったんでしょうね」
「そうね…、本当の宝物はね、お金では買えないものだと思うわ。あんたの宝物は何?」
「うーん…、心ですかね。喜んだり悲しんだり、夢を見たり、誰かを守りたいって思ったり…。大切なことを…」
大切なことを…、そう言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。続きを言えるはずがなかった。だが、ツ子さんには伝わったようだ。
「大切なことを忘れない心…、大事にするんだよ」
「はっ、はい! ツ子さんのことも忘れませんよ!」
「ワタシもあんたのことは忘れないよ」
嬉しいのに悲しい…、そんな感情はこういうことを言うのだろう。俺はツ子さんと握手をして居室を出た。寂しさを噛み殺しながらダイニングルーム(入居者が食事を取る部屋)へ行くと、実習の担当者が腕を組んで待っていた。
「清掃氏さん、どこへ行っていたんですか?」
「今日で最後なので、順番に部屋を回ってお話を聞いていました」
「それは構いませんが、そんなに時間をかけなくてもいいんですよ」
「はい、すみません…」
「認知症の人は同じことを何度も話すんです。そんなのに付き合っていたら、どんなに時間があっても足りなくなってしまいます。話を聞いてもらって嬉しいとか、そんな感情だってすぐに忘れてしまうと思います。そもそも、感じているかどうかさえ分かりません。学校で習うのは理想の介護で、現実は違うんですよ」
「いっ、いや…、それは分かりますが、『そんなのに付き合っていたら』って言い方は…。それにですね、たとえ一瞬だって嬉しいと思っていただけたら、それでいいんじゃないですか?」
「ですから! 嬉しいと思っているかどうかも分からないんです」
「分からなくたっていいじゃないですか…。嬉しそうな顔をしてくれる、生き生きと話をしてくれる、そういうことが大切なんじゃないですか?」
「……………」
「人手が限られていて…、時間にも追われていて…、出来ることと出来ないことがあるのは仕方がないと思います。でも、少しでも出来ることを増やしていく努力や、心に寄り添っていこうという気持ちが大切なんじゃないですか? もちろん、実習に来ただけの俺と日々大変な気苦労をされている皆さんとでは、知識も考え方も違うことは理解しています。生意気なことを言ってすみません…」
「…清掃氏さんは熱い人ですね。もしも介護の仕事に就くのなら、いえ…、どんな仕事であっても、その情熱は自分を苦しめるかもしれませんよ。もうお時間ですから、お帰りいただいて構いません。実習お疲れ様でした」
確かに俺は熱いかもしれない。だが、熱い人間だって必要だろう。理想を塗り潰してしまっては、進歩など望めない。人として人の心に寄り添う介護は、教科書の中にしか存在しない理想なのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。入居者やそのご家族はもちろん、介護者自身も幸せになれる介護があるはずである。寄り添われれば心地良くて、喜ばれれば嬉しい。俺は極めて自然で当たり前のことだと思う。そう思いませんか?、ヘルパーおかん!
続きは、ヘルパーおかん こと ゆるゆらりさん のへ
気持ちを奮い立たせたり、自分に厳しく当たったり、そんなことばかりしていたら疲れちゃうよね。 たまにはさ、自分を甘やかすことも必要だと思うんだ。 だってさ、悲しい時も苦しい時もあって、そんな自分の気持ちは自分がいちばんよく分かるんだからさ。
来週12月30日(土)より霖雨蒼生編がスタートします。優しさとは何か? 温かさとは何か? そして、生きるとは何か? 清掃員として働く日常の中で感じた思いを余すことなく言葉にしていきます。第1話は、【】と【】を繋ぐ話です。あの時、彼女は何故そこに…。