2.忘れていた素直な気持ち
空が恒に連れられて行った後、悠一と海は夜ごはんを食べながら、
「海、ごめんな。腕、大丈夫か?」
「うん。ちょっと切れちゃっただけだから。」
「オレ、空に厳し過ぎたか?」
「ううん。朝から空の態度、ひどかったから、お兄ちゃんが怒るのも無理ないよ。」
「そうだよな。でも恒が言うように、オレ、どうしてもすぐカーッとなっちゃうんだよな・・・。」
“お兄ちゃん、珍しく反省してる?恒先生にお尻叩かれたのが、そんなにショックだったのかな?”
「それにしても空のヤツ、よくあんなにメチャクチャにしてくれたよな。正直言って、オレ焦った。あいつが真正面から意思表示してぶつかってきたの、初めてじゃないか?」
「うん。空、いっつも我慢しちゃうからね。」
「恒に任せないで、オレがちゃんと話をしなきゃいけなかったのかな・・・。」
「でもきっと、空すごーく反省して帰って来ると思うよ。恒先生、怒ると超怖いから・・・。」
「そうだよな。海もこの間、こっぴどく叱られたもんな。」
「うん。いっぱい泣かされたもん。」
「オレもケツ叩かれるの、海と空に見られちゃったし・・・。昔からあいつには、よくケツひっぱたかれるんだよなー。」
「昔って?」
「初めて恒に会ったのは、中1の部活の時間だった。あいつ東京から引っ越して来て、あのころから背がデカかったし、貫禄があったから、先輩かと思ってたんだ。転校生のくせに、やたらみんなを仕切ってるし、オレら1年生に説教するし。数日後に同級生って分かったときには、すでにリーダー的存在になっていた。
高2のころ、部活仲間で悪さをするヤツが出てきて、練習に身が入らなくてチームがバラバラになった。それを次期キャプテンのあいつが、みんなのケツ叩きまくって、力ずく+長ったらしい説教とで立て直し、一つにまとめ上げたんだ。それで3年の最後の県大会では準優勝できたっていう、ちょっとした伝説になってるんだよなー。」
「だから藤重先生も、恒先生には一目置いてるんだね。」
「ん?」
「この間の部活のミーティングのときに言ってた。今日オレも恒に説教されたって。」
「そうだよな。昔から恒って、先輩にでも臆することなく、ズバッと意見してたもんな。でも筋が通ってるから、先輩たちも何も反論できなかったし、生意気だっていう声も上がらなかった。まわりのみんなから慕われて、頼りにされてた。それに比べてオレは・・・。」
“あーあ。またお兄ちゃん、落ち込んじゃったよ・・・。”
「藤重先生、言ってたよ。悠一は単純だからいいぞって。」
言った途端、全然フォローになっていないことに気づき、
「あっ、ごめん。」と謝ると、
「そうだよな・・・。でもまあ、それはオレの持ち味ってことだよな。海とも似てるし。」
「えっ?」
「おまえもすっごーく単純だもんな。」
“ほめられてる?けなされてる?”
「まあ、いろいろとつまずきながら、前進していけばいいか。オレも、海も、空もなっ。」
翌朝、空は恒の家から登校した。いつものように小言にイラつくこともなく、すがすがしい気分の反面、何か少し物足りない気がした。一方で悠一は、1人いないだけでこんなに静かな朝になるのかと思い、やはり少し淋しさを感じながら仕事に出かけた。
pm7:00過ぎ、空が部活を終えて家に帰ると、先に帰った悠一が夜ごはんの用意をしていた。
“あっ、今日カレーだ。兄ちゃんのカレー、食べたかったんだ。”
リビングのドアを開けて、「ただいま。」と言うと、悠一が「おかえり。」と返事をした。
空はそのまま悠一の所に行くと、
「昨日はごめんなさい。」
と頭を下げて謝った。
悠一は、空の頭をポンポンと叩き、
「ああ。もうすぐごはんできるから、着替えて来い。」
と言って、カレーの鍋をかき混ぜた。
3人で食卓を囲み、他愛もない話をして食事の時間が終わった。空はいつものように、お風呂に入って、少しの間ソファでテレビを見て、pm10:30過ぎに部屋に行って宿題をして・・・。
“おかしい。何で兄ちゃん、何も言ってこないんだろう。いつもなら、即、おしおき宣告されるのはずなのに・・・。今日はもう、たぶんこのまま何も言われない気がする。”
空にとっては、おしおきされない方がもちろん望ましいのだが、いつもと違う展開に面食らって、海の部屋をノックした。
「海、ちょっといい?」
「どうしたの空?」
「何で兄ちゃん、いつもみたいにケツ叩かないんだろう?」
「えっ?叩かれてないの?私がお風呂入ってる間に、やられたかと思ってた。」
「何も言われない、っていうか、昨日のことにまったく触れてこないんだけど。」
「あっ、もしかして・・・。昨日空が恒先生んちに行った後、お兄ちゃんすごく落ち込んでたから、まだ引きずってるのかもしれない。」
「兄ちゃんが落ち込むなんて、珍しくねー。」
「恒先生にお尻叩かれちゃったからね。それより、空のこと、すごく心配してたよ。大丈夫かな?って。」
「まじで?」
「うん。」
「じゃあ今日、何で冷たいんだろう・・・?」
「冷たいんじゃなくて、どう接したらいいか悩んでるんだよ、きっと。」
「オレ、怒られるの覚悟して帰って来たから、ずっといつ言われるんだろうってビクビクしてたのに、何だか調子狂った。」
「すっきりしたいんなら、お兄ちゃんと話してくればいいじゃん。ちゃんと謝って許してもらわないと、明日も明後日もずっと気まずくなっちゃうよ。」
「そうだよな。でもオレ、海みたいに「お尻叩いてください」とは言えないからなー。」
「私、そんなこと言ってないよ。」
「恒先生が言ってたぞ。」
「何で恒先生がそんなこと知ってるの?」
「兄ちゃんと恒先生、全部通じてるから、隠し事しても無駄なんだろ。」
「あー、恥ずかしい。もう嫌!もう寝る!じゃあね、空、頑張ってね。」
「うん、ありがとう。あっ、それと、昨日暴れて、海にケガさせちゃってごめん。」
「大丈夫だよ。突っ張ってる空も男っぽくてカッコイイけど、素直で優しい空も超イケてるよー。」
「何だよ、急に。」
「空~頑張れ~!」
「おう、サンキュ!」
空は、一度自分の部屋に戻って考えた。
“このまま、うやむやにしちゃいけないよな・・・。昨日、恒先生が話を聞いてくれて、あんなにキツイおしおきをされて、オレ、一歩前進したんだから、兄ちゃんともしっかり向き合わなきゃ意味ないよな。”
空は階段を下りて、ソファに座ってテレビを見ている悠一の所に行くと、
「お兄ちゃん、昨日のこと、ちょっと話していい?」
「おう。」
「あんなに暴れて、迷惑かけて、本当にごめんなさい。」
「恒の所で、ちゃんと反省できたか?」
「うん。」
「じゃあもう大丈夫だな。」
「・・・兄ちゃんは、おしおきしないのかよ?」
「恒、厳しかっただろ?何発叩かれた?」
「100・・・。」
「いっぱい泣かされたか?」
「うん。」
「それで充分反省できたんなら、オレからはナシでいいんじゃないか?」
「いつもそんなこと構わずに、ビシビシひっぱたくじゃんか。」
「でもオレ、おまえに厳し過ぎるのかなって、昨日一晩じっくり考えた。これからは、なるべくおしおきはしない方向でやっていこうと思うんだ。」
「確かに厳しいって思うことはいっぱいあって、何でだよ!ってムカつくけど、でも、オレが悪いことをしたときには、ちゃんと叱ってほしい。」
“・・・オレ、何言ってんだろう。これじゃ海の「お尻叩いてください」と同じになっちゃうぞ。そんなこと絶対に言えない。どうしよう・・・。どうしたら軌道修正できるんだ・・・。”
グズグズと考えていたら、
「じゃあ、今回のはどうするか?」
悠一の方から質問されてしまった。
“ヤバイ!これって、自分から言わざるを得ない状況じゃんか・・・。”
空は、もうじたばたするのをやめ、恒のおかげでいくらか軽くなったプライドを、思い切って脱ぎ捨てた。
「オレが悪かったから、おしおきしてください。」
悠一は表情一つ変えずに、
「どんなおしおきしてほしいんだ?」
“兄ちゃん、わざとオレの口から言わせようとしてる・・・。”
「・・・お、お尻・・・。」
「体勢は?」
「えっ・・・ひ、ひざで・・・。」
「空は何回叩かれたら、今回のことにケジメつけられる?」
「・・・10回ぐらい・・・。」
いつもなら絶対に、「少ない!」って却下される回数を言ったのに、
「よーし、了解。じゃあこれから、ひざの上で、お尻10発叩くから、ちゃんと反省しろよ。」
「・・・分かった。」
“結局、全部オレが考えて、オレが決めたおしおきを受けることになってしまった。兄ちゃんにまんまとハメられた、ってことだよな・・・。”
悠一の横に立って、モゾモゾしていると、
「自分でパンツ下ろせ。」
と言われ、短パンとパンツを一緒に下ろして、昨日恒にたくさん叩かれて、まだ痛みが残るお尻をさすりながら、ひざの上に横たわった。
悠一は、「じゃあ、10発な。」と言うと、ハァーと手の平に息を吹きかけて、強烈な1発を空のお尻に振り下ろした。
「いってー!」
“うそだろ。すごい痛いんだけど。兄ちゃん、いつもと様子が違って、オレに厳し過ぎたとか言ってたから、軽く10発を想像していたのに、まるっきり当てが外れた。”
2発目、3発目、4発目・・・
全部痛い。
必死にこらえていたが、7発目で涙が流れ、その後は堰を切ったように泣きじゃくった。
8発目、9発目と1発叩かれるごとに、今まで身にまとっていた鎧のような塊が崩れ落ち、何か吹っ切れたような、素のままの空の心が見えてきた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい。もう無理、もう絶対に歯向かったりしないから、許してー。」
10発目
「空、これでラストだ。我慢しろよ。」
バッチィーーン!
「ギャー!お兄ちゃーん、痛いよー。」
まるで小さい子供が駄々をこねるように、悠一の足をドンドンと叩いて、泣きながら抗議した。
“こんな素直な反応をして、童心に返っている空を見たのは初めてかもしれない。きっと昨日、恒がうまく空の気持ちを引き出してくれたのだろう。
一緒に暮らして1年ちょっと経つが、母親と離れていることに対して、表面には出さないが淋しさやストレスを抱えているのは間違いない。オレがその隙間を、全部埋めてあげられればいいのだが、オレにはそんな度量はない。
空は空なりに踏ん切りをつけて頑張っているのだろうが、まだまだ中学生、大人よりは子供に近い存在だ。なかなか弱音を吐かないから分かりにくいが、甘えたい気持ちをもっと表面に引き出してあげるべきだろう。”
空をソファの横に座らせて、肩を組んで話しかけた。
「なあ空、兄ちゃん空のこと、大好きだぞ。生意気なところも、ちょっと冷めてるところも、優しいところも、しっかりしなきゃって頑張ってるところも、オレのことムカつくって思ってるところも、やっぱり兄ちゃん大好きって思ってるところも、ぜーんぶひっくるめて、空のこと見守ってるし、かわいいと思ってるからな。
おまえは我慢し過ぎるところがあるから、自分で何でも抱え込もうとしないで、オレにもっと頼って、もっともっと迷惑かけてくれていいんだぞ。まだまだガキんちょなんだから、大人の支えが必要だもんな。」
空がしんみりとして、うなずきながら聞いていると、
「ああ空、あと前言撤回だ。兄ちゃん空には、もっとうーんと厳しくしてやるからな。だっておまえ、オレにおしおきしてほしいんだもんなぁ。」
ニヤニヤしながら言う悠一を見て、
“兄ちゃんには、「おしおきしてください」なんて、絶対に言っちゃいけなかったんだ・・・。”
恥ずかしいし、ムカつくし、面倒くさいし、いろんな思いが入り混じって複雑な心境だった。
「あーそうだ。空はオレより恒の方が好きなんだよなぁ・・・。オレがこんなに空のこと大事に思ってるのに・・・。兄ちゃん淋しいなぁ・・・。」
大人のくせにふてくされている悠一を見て、
「朝、起こしてくれるし、ごはん作ってくれるし、面倒見てくれるし、いっぱい叱ってくれるし、たまに優しくしてくれるから、オレ、兄ちゃんのこと大好きだし、すごく感謝してる。」
早口に照れくさそうに言う空を見て、悠一も照れくさくなって、2人で顔を赤くした。
数日後、空はリビングボードの引き出しの中から、
『反抗期の男の子』という本を見つけた。『反抗期の女の子』を探したが、そっちは見当たらなかった。
海よりもオレなのか・・・。
何だか空には嬉しかった。
母親たちが好みそうな可愛いらしい表紙の本を、本屋さんで選んでいる悠一の姿を想像したら、思わず「プッ」と吹き出してしまった。それと同時に、悠一の気持ちを考えた。
“オレ、兄ちゃんにすごく負担かけてたんだな・・・。兄ちゃん、口うるさくてうっとうしいと思うこともたくさんあるけど、オレが兄ちゃんの立場だったら、オレみたいなクソガキ、まじでムカつくだろうし、端からこんな環境には耐えられないと思う。
兄ちゃんには感謝してるし、嫌いじゃない。ただ素直になるのが恥ずかしいというか、何だか弱味を見せているようで悔しいというか。そういう感情を持つのは、やっぱりオレがまだまだガキだってことだよな。恒先生に言われたように、もう少し気持ちをさらけ出して、いろんなことを簡単に考えてみようと思う。
一緒に暮らしていく上で、お互いにいい関係でいられるように、突っ張ってばかりいないで自分を変えていかなきゃいけないな。取りあえず、『1日1回、兄ちゃんに感謝の言葉を述べる』とか、『さりげなく兄ちゃんがいないと淋しいアピールをする』とか、オレらしくないかもしれないけど、できそうなことから始めてみようと思う。”
おわり